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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2018/04/24

乾山作の梅文は蓋物だった


以前に大阪市立東洋陶磁美術館で購入した赤いハンカチは梅文だと思っていたが、それは四角い容器の絵から採ったデザインだと思っていた。
ところが、今回同館の常設展示にあったものは緑地に椿文を散らした向付で、確かにこの文様が元になっていることは分かった。
それはMIHO MUSEUMで2016年に開催された「うましうるはし 乾山 四季彩菜展」で見た向付の文様と同じだった。

色絵椿文向付 5客 18世紀 MIHO MUSEUM蔵
同展図録は、蓋付の食器は、いわゆる蓋付碗と呼ばれるものがほとんどで、その原型は漆器の塗碗に求めることができ、乾山はそれをやきものに写したといえます。
一方、白化粧の下地を白い椿花とし緑の上絵付けを施す意匠は、輪花向付や四方鉢、手付鉢など乾山焼の製品にしばしば見られるものです。蕊は黄で描き込んでいます。これは染織技法の応用で、すでに梅波図蓋物に梅文を施す手法で見せていますという。
大阪市立東洋陶磁美術館のものは口縁部が8つの輪花となって向付らしい形だが、こちらは蓋付きで汁椀のよう。
この解説にあるように、何時か何処かで椿文の四方鉢を見ていたかも知れないなどと思ったりする。

銹絵染付梅波文蓋物 1合 MIHO MUSEUM蔵
同展図録は、本作は蓋表と身の外側に型紙を使って白泥で梅花を散らし、その上から銹絵と染付で梅花を重ね摺りして絵付けしています。全体に透明釉が掛けられ、高火度焼成されていますが、口縁と底は土見せとなっています。
乾山の蓋物は、竹や籐などで編んだ蓋物にその原型があるといわれていますという。
この四方鉢の文様を緑の椿文と勘違いしていたのかも。
内側には全面白化粧の下地を施した上に染付で流水文を描いています。
蓋を開けた時に意表をつく意匠配置はここにも見出され、これぞまさに玉手箱といえるでしょうという。
流水文にも見えるが、玉手箱から出てきた煙にも見える。

おまけ

色絵阿蘭陀写市松文様猪口 10口 MIHO MUSEUM蔵
同展図録は、薄い粘土板を貼り合わせて成形し、白泥と藍彩で碁盤目状に交互に塗り分けた、いわゆる市松文様と呼ばれる意匠が施されています。単純ですが普遍的な図柄で、古さを微塵も感じさせません。しかも見込みは碁盤目を45度傾けて施文しているデザイン力はさすがで、単純なパターンに変化をもたせ、意外性を呼び起こす効果をもたせています。外側には口縁際に黄の線を一条巡らし、全面白化粧下地の底には銹絵で乾山銘と爾印花押が記されています。
箱蓋表には「延享2年」と書かれており、延享2年(1745)は、乾山が歿して2年経た年にあたります。底に記された爾印花押の乾山銘は猪八のものと似通うことから、乾山江戸下向後の京都で引き続き猪八によって操業されていたであろう聖護院窯で焼かれた製品と考えられます。
いずれにしろ、細部にまで神経を使って繊細かつ丁寧に仕上げられたこの猪口は、目に鮮やかなデルフト・ブルーと呼ばれる青色が美しく、しかも口縁部の黄色い線描が全体を引き締めている市松文の小粋なデザインは、いつまでも新しさを失わない、乾山永遠の作といえるのではないでしょうかという。
乾山工房の作だったが、乾山のデザインした作品、あるいはデザイン帳にあったのかも。 
その上、この藍色釉の特色なのか、輪郭が滲んでいる。
それが、あるお宅の絣の市松文様に似ているのに気付いて驚いたものだが、今回猪口の滲みに気付いて二度びっくり。

同展図録は、この文様を小粋なデザインとしているが、そんな猪口にそれぞれの料理を盛り付けるなんて、もっと洒落ている。
こんな料理を京都の美しい庭を見ながら食べることができたら、それはもう至福としかいいようがないだろう。

東洋陶磁美術館 乾山の向付は椿だった

参考文献
「うましうるはし 乾山 四季彩菜展図録」 2016年 MIHO MUSEUM