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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2012/08/28

中国の一角獣の起源?



西安北郊で加彩有翼獣が鎮墓獣として墓室に納められた前漢時代に、東郊では加彩有翼馬がつくられた。しかも、その馬のような獣には1本の角があったとみられる孔があり、一角獣だったらしい。

加彩有翼馬 陶製 高39.0長55.0幅19.0 前漢時代(前3世紀-後1世紀) 西安市東郊灞橋出土 西安博物院蔵
『天馬展図録』は、体に比して頭を大きく造作している点からも、もとより写実的に馬を表す意図はなかったものと受け取れる。たてがみの前の額には小さな孔があり、ここに角を挿していたとすれば、本品は一角獣であった可能性が高い。上方に巻上がる翼と後方に伸びる翼の二枚構造である。
なお、中国における一角獣は、甘粛省の後漢墓を中心に多くの例があり、頭を下げて長い角を前に突き出す姿勢をとる。悪霊を威嚇し、墓の安寧を守る鎮墓獣の一つであるが、もとは犀をモデルにしているとも言う。甘粛省武威市磨嘴子出土の加彩木の一角獣(甘粛省博物館蔵)には肩に小さな翼が墨書されており、有翼の一角獣も存在する。本品の馬としては異質な容貌も、犀から連想された一角獣に重ね合わせるとおおよそ理解がし易くなるであろうという。
角があったとしても、とても犀には見えない容貌だ。
後漢の翼を墨書された一角獣は以前に採り上げたことがある。

一角獣 加彩木 後漢(25-220年) 甘粛省武威市嘴子出土 甘粛省博物館蔵
同書は、角を前方に突き出して目を大きく見開き、外敵を威嚇するようである。主に朱と墨とで模様を描く。体躯は一見すると犬のようでもあるが、頭に描かれた波打つ縞模様は鬣のようであり、足先は蹄状につくる。肩のあたりは翼を表現する。このような想像上の動物は枚挙にいとまなく ・略・ しかし、それらが立体造形物として墓に納められることは殆どなかった。数ある神獣のなかでも、とくに本例のような一角獣が、墓や死後の世界と密接に関わる存在であったことがうかがえるという。

肩の上の翼はわかりにくいが、上下に2枚あるようだ。
大きな角を前方に向けて、墓を守る姿勢をとっている。
こちらも犀には見えないが、上図の前漢の有翼犀?が、後漢にはこのような姿になったとは思えない。
一角獣 銅 後漢 甘粛省酒泉市下河清18号墓出土 甘粛省博物館蔵
『中国★美の十字路展図録』は、頭を下に向け、頭頂に生えた長く、鋭く尖った1本の角を前に突き出している。4本の足で踏ん張り、全身の力を一角に集中させているかのようである。地下の墓の前室に、頭を入口に向けて置かれていた。このような一角獣は、甘粛の河西地方の後漢墓から多く出土し ・略・ 体に鱗文を施して大きな尾を振り上げ、敵に対する猛烈な威嚇を示していた。当時、墓を悪霊から守るためにさまざまな鎮墓獣が編み出されたが、角はとりわけ悪霊を突く力があると信じられ、戦国時代の楚の墓では鹿の角を使った鎮墓獣が多く作られ、後漢になると陝西勉県や山東諸城などでも一角獣が登場する。しかしそれらは犀を原型としたものであり、これほど角が長く精悍な一角獣は河西地方独特といえるという。

長い角を持つ一角獣は、河西地方に限られるらしい。この種の一角獣のその後についてはこちら
戦国時代の鹿の角を持つ鎮墓獣はこちら
『世界美術大全集東洋編3三国・南北朝』は、南朝帝陵の石獣の名称については、右の一角石獣を麒麟とし、左の二角石獣を天禄とする意見があるけれども、『南斉書』『梁書』などの文献を見ると、一様に麒麟(麒驎)と呼んでおり、麒麟とするのが妥当である。元来麒麟は『説文解字』に「麋身、牛尾一角あり」と定義するように、麋(なれしか)の体をして牛の尾をつけ、角は一角である。後漢の河南省堰師出土の鍍金麒麟像などに見られるとおりであるという。

鍍金麒麟 銅製 高8.6㎝長6.7㎝ 後漢(1-2世紀) 河南省偃師市冦店李家村窖蔵出土 鄭州市河南省博物館蔵
これが本来の一角の麒麟らしい。
同書は、後代その形は一定せず、体形が鹿から馬に変化したり、二角のものも現れたりしたという。
ということで、今のところ前漢時代の馬とも犀とも見えない有翼獣が、中国における一角獣の最古である。

※参考文献
「天馬 シルクロードを翔ける夢の馬展図録」 2008年 奈良国立博物館
「中国★美の十字路展図録」 2005年 大広
「世界美術大全集東洋編2 秦・漢」 1998年 小学館