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忘れへんうちに 旅編に、中央アジア各地の旅に続いて、イランの旅を記載し始めました。
その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2017/04/14

マスジェデ・ジャーメの変遷


マスジェデ・ジャーメは、現在では北東方向から南西方向に軸線をおく、チャハル(4)・イーワーン形式の巨大な金曜モスクである。

創建から何度も改築を繰り返してきた。それがモスクに入ってすぐの回廊に図解とペルシア語・英語の解説で示されていた。長い文やわかり難いものもあるので、簡単に。

Ⅰ アッバース朝時代(8-9世紀)
点線部は8世紀に遡る前身のモスク
イスファハーンの主な建造物は、マスジェデ・ジャーメが現在の地に建立されたヒジュラ暦156年(西暦772年、以下西暦で表す)と同時代であると思われている。
この時金曜モスクは、街の中心広場の北西隅の地に建てられた。
初期のモスクは後に破壊されたが、その痕跡は考古学的な調査によって発見されている。

Ⅱ 修復と新しいモスクの拡張(10世紀)
アッバース朝でムウタシムがカリフの時代に、金曜モスクは重大な改革の次の段階に入った。最初のモスクは壊されて、その場所に、前のもの(1ha)よりも巨大なモスクが、キブラの方向に修正されて建造されるということが続いた。建物は、木製の陸屋根と柱廊(礼拝室史)のサマラのアル・ムタワッキル・モスクなどを手本とした。中庭の周囲の陸屋根のある空間は、シャベスタン(shabestan、礼拝室)様式と呼ばれる。高く厚い壁はモスクを取り囲み、赤味を帯びた漆喰が塗られていた。壁は部分的に残っていて、すぐに識別できる。
『GANJNAMEH7』は、中庭に沿って、長辺に18のアーチ列、短辺に15のアーチ列。梁のある平屋根だったという。

Ⅲ ブワイフ朝期(11世紀)
北イランで勢力を付けたイラン起源のブワイフ朝は、イスファハーンを統治の中心とした。ジョルジールという名で建立された新しいモスク(表門が今でも残る)だけでなく、マスジェデ・ジャーメにも関わった。中庭への出入口を設置することによって、以前の屋根で覆われた空間は、オーダー(柱式)と出入口の高さを考慮に入れて内部に拡張された。円柱の組み合わせによる建て増し構造、焼成レンガと幾何学的な文様は、美しい中庭ファサードをもたらす結果となった。
ジョルジール・モスクについてはこちら

Ⅳ セルジューク朝時代前期(11-12世紀)
ニザームル・ムルク(Nizam-ol-Molk、ニザム・アル・ムルクとも、スルタン・マリク・シャーの宰相)が建てた南ドームと、タジ・アル・ムルク(Taj-ol-Molk、ニザームルのライバル)がその後建てた北ドーム(1088年の銘がある、ゴンバデ・ハーキとも)。

Ⅴ セルジューク朝時代後期(12-13世紀)
1 ニザム・アル・ムルク・ドーム(南ドーム)は独立した単殻構造で、1080年頃礼拝室を部分的に破壊された後に建立された。
2 北翼のタジ・アル・ムルク・ドームは南翼の軸線上にある。1088年の銘がある。
3 北イーワーンは、数本の円柱と北礼拝室の出入口を壊して、モスクの長軸上に、現在の場所に建てられた。北東隅は10世紀のモスクの日干レンガの北壁に相当する。
4 南イーワーンは、中庭とドームを繋ぐために建てられた。。南ドーム(ニザム・アル・ムルク)の入口に当たる場所。
5 東イーワーンは、東側中央に立っている。イーワーンの空間の最も東の部分は、10世紀の日干レンガの壁に至る。
6 西イーワーンは、suffa-e-ostardとして知られている。東と南イーワーンと同時期に建立された。10世紀初めのモスクにあった数本の円柱と出入口が壊され、そこに建てられた。東イーワーンとよく似ている。
7 南東礼拝室は、セルジューク朝期に建てられた広い列柱式である。
中庭に面した周壁中央に4つのイーワーンを置く、チャハール・イーワーン様式が確立。
『ペルシア建築』は、構造上の創意という点では、ダブル(二重殻)ドーム、リブ、前代のものよりもいっそう広いヴォールト、いっそう高いミナレット。装飾では、スタッコ製のミフラーブ、壁面を覆い尽くす濃密で表現に富むアラベスク文様。さらには、煉瓦の積み方そのものによる、際限もなく種類の多い、生き生きとした独創的な装飾パターンなどが挙げられるという。

Ⅵ イル・ハーン朝時代(14世紀前半)
中庭に面した回廊を二階建てに。
有名なオルジェイトゥ(Uljeitu)のミフラーブは西イーワーンの北壁に造られた。様々な書体を浮彫漆喰で表した、イル・ハーン朝で最も美しいミフラーブとされている。

Ⅶ ムザッファール朝時代(14世紀後半)
東翼に神学校を建て増しした。神学校の北翼と南イーワーン内壁の装飾に、モアッラグ(ペルシア語、モザイクタイル)が使われている。
北イーワーンと北ドーム室(ゴンバデ・ハーキ)の間の空間に屋根を架ける。

Ⅷ ティムール朝時代(15世紀)
南西隅に礼拝室を拡張した。
中庭を巡る回廊と各イーワーンの外壁をタイルで装飾。南イーワーンに一対のミナレットを建てる。

Ⅸ サファヴィー朝期以降(16世紀~)
東イーワーンのムカルナスを変えた。南イーワーンのミナレットをタイルで被覆。

Ⅹ カジャール朝期(18世紀末-20世紀初)
東入口を修復。
中庭中央に泉水を設置。またその両側に信徒礼拝用の壇を造る。


     →マスジェデ・ジャーメ、南東礼拝室のドーミカル・ヴォールト

関連項目
マスジェデ・ジャーメ2 西翼
マスジェデ・ジャーメ1 南翼
ジョルジール・モスクのムカルナスを探して

参考文献
マスジェデ・ジャーメの説明板
「GANJNAMEH7 CONREGATIONAL MOSQUES」 1999年
SD選書169「ペルシア建築」 A.U.ポープ 石井昭訳 1981年 鹿島出版会