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忘れへんうちに 旅編に、中央アジア各地の旅に続いて、イランの旅を記載し始めました。
その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2017/09/26

フーゼスタン州のパルティア美術


スーサ遺跡に併設された博物館には、パルティア時代の美術品も展示されていた。
アケメネス朝がアレクサンドロスに滅ぼされた後、セレウコス朝の支配下に置かれたが、アルサケス朝パルティアが独立して勢力を拡大し、イランもその領土となった。その頃から、サーサーン朝のアルダシール1世がパルティアを滅ぼすまでの期間につくられた美術を、フーゼスタン州の出土品に限るがまとめてみた。

その特徴として『世界美術大全集東洋編16西アジア』は、ヘレニズム美術が着実にこの地域に伝播したことはイラン系のアルサケス朝パルティア(前3-後3世紀前半)の時代に制作されたさまざまな作品が物語っている。アルサケス朝の宮廷美術は、その初期の首都であった現トルクメニスタンの旧ニサの宮殿や神殿から発掘された若干の彫刻以外、ほとんど現存していない。
われわれが「アルサケス朝の美術」という場合には、アルサケス朝パルティアが西アジアを統治していた時代の西アジアの美術を意味している。すなわち、パルティア人以外の被征服民(土着の民)の宮廷美術、あるいは隣接するシリア(パルミラ、ドゥラ・エウロポス)やトルコ(コンマゲーネ王国)の美術である。
これらの小王国の宮廷美術は、アルサケス朝の宮廷美術の影響を強く受けていたと考えるべきであろう。
パルティア時代の美術は、ヘレニズム美術がしだいに変貌し、イラン系および土着の要素が復活していった歴史であるといえる。
その前半(前3世紀-前1世紀末)の宮廷では、ギリシア文化を積極的に摂取していたが、時を経るにしたがってアケメネス朝以来のイラン美術の伝統やパルティア人の嗜好、慣習なども取り入れられ、ギリシアとイランの両要素が折衷されるに至った。そのような折衷美術の実態をもっとも鮮明に示しているのが、トルコ南東部の小王国コンマゲーネのグレコ・イラン式彫刻であるという。
馬に乗る女性小像 時代不明 テラコッタ スーサ博物館蔵
女性はバランスのとれた姿に表現されている。馬の顔といい、ヘレニズムの影響を感じさせる。
表情も柔らかい。

女性胸像 石造? マスジェデ・ソレイマン、サル・マスジェド遺跡出土 スーサ博物館蔵
やや硬直した表情の正面向きの像だが、パルミラの婦人胸像(2世紀末)と比べると、自然な表現で、それよりも早い時期に制作された作品だろう。

ヘラクレス像 石造  マスジェデ・ソレイマン、サル・マスジェド遺跡出土 スーサ博物館蔵
ヘラクレスは、通常は棍棒とライオンの皮を持つか、被るかしているが、ここでは子ライオンを抱えている。顔面上半が壊れているのが残念だが、おそらくヘレニズムから脱した頃のパルティア美術だろう。
同じパルティア美術とされる、ハトラ出土の棍棒とライオンの皮を持ったヘラクレス像(2-3世紀)とも異なる表現だ。

女性立像 石造 マスジェデ・ソレイマン、バルデメシャデー遺跡出土 スーサ博物館蔵
パフラヴィー文字の銘文があるという。
衣文が仏像を思わせるが、ヘレニズム色の強いガンダーラの仏像の衣文は深い。

柱頭彫刻4面うち2面 マスジェデ・ソレイマン、バルデメシャデー遺跡出土 スーサ博物館蔵
蕨のように下から伸びた渦巻を1本の茎?が支えているような左右の装飾の中に、神のような存在が1体ずつ表される。4人とも伏し目
残りの2面
4つ目の面はガラスに反射して人物像がわかりにくいが、長衣の襞は少なそう。だが、それは例外で、他の3体は襞の多い衣装を着けている。

6弁花のある柱頭 マスジェデ・ソレイマン、バルデメシャデー遺跡出土 スーサ博物館蔵
やはり両端に蕨のような植物文がある。

双頭の動物型柱頭  マスジェデ・ソレイマン、サル・マスジェド遺跡出土 スーサ博物館蔵
おそらく牡牛の前半像が表されていたのだろうが、頭部は別材を取り付けたようで、すっぽりとなくなっている。

円柱 イゼー出土 スーサ博物館蔵
ひょっとすると、4面に人物(神)像が浮彫されているかも。
地域性の強い作品である。衣褶の多い着衣がパルティアのものを採り入れているという程度。
男性像の墓石 イゼー、ソーサン平原出土 スーサ博物館蔵
イゼーというところは、パルティア風でもイラン風でもない造型感覚を持った地域だったようで、興味深い。

スーサの出土品1 釘頭状壁面装飾はエラム← →スーサの出土品2 エラム時代の略奪品

関連項目
スーサ3 博物館
スーサ2 エラム時代の宮殿まで
スーサ1 アケメネス朝の宮殿

※参考文献
「世界美術大全集東洋編16 西アジア」 2000年 小学館