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忘れへんうちに 旅編に、中央アジア各地の旅に続いて、イランの旅を記載し始めました。
その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2017/10/03

スーサの出土品2 エラム時代の略奪品


『メソポタミア文明展図録』は、北西セム語族アムル人は前2100年頃から徐々に南メソポタミアの都市に侵入しつづけていたが、シュメール人、アッカド人に替わってついにラルサ王国、さらにはバビロン第1王朝を築くことになる。
カッシート王朝の終末、前1150年頃、エラムの王シュトルク・ナフンテ1世のメソポタミア侵入によって、各都市が破壊され、多くの神像やモニュメント等の戦利品がスーサに持ち去られた。その中にハンムラビ法典、ナラム・シンの戦勝碑などもあった。これがその後の1901-02年フランスのJ・ド・モルガン等のスーサの発掘調査によって再び発見されたという。

ハンムラビ王の法典 バビロン第1王朝第6代ハンムラビ王期(前1792-50年) スーサ出土 ルーヴル美術館蔵
同展図録は、ハンムラビ王は先ず国内の治水工事や灌漑用水路などの拡充、神殿の建設や修復などに力を注ぎ、そしてメソポタミアのエシュヌンナ、エラム、マリ、ラルサなどを制圧し、統一を成し遂げた。前1763年のことである。そしてその数年後、前1760年ころにハンムラビ法典を制定した。
石碑の上部には左側にハンムラビ自身が恭しく右手を挙げて神を拝しており、右側には正義の神である太陽神シャムシュが神のシンボルである4段の角の冠を被って、王座に座っている。そしてシャムシュの右手は支配と主権を表す輪と杖をハンムラビに授けようとしている。
ハンムラビ王によってメソポタミアの統一し、公正で弱者を守るという正義を掲げたバビロン王朝であったが、ヒッタイト王国のムルシリ1世の突然の攻撃によって、前1595年、首都バビロンは破壊されたという。
太陽神は肩から光または炎を出して、左手は拳を握り、右手だけで小さな環と短い杖をハンムラビに差し出している。
ハンムラビは左腕を折り、その上に右腕を置いて掌を立てる。これが神を拝む形。
ゾロアスター教のサーサーン朝では、杖とリボンの付いたディアデムが王権神授図には必ず登場する。それは、このメソポタミアの伝統が継承されたからだろう。

アルダシール1世(初代、在位224-241年)
王権神授図(騎馬叙任式図) 縦4.28横6.75m ナクシェ・ロスタム
『世界美術大全集東洋編16西アジア』は、画面構成は左右対称的で、向かって左に騎馬のアルダシール1世、右に同じく騎馬のアフラ・マズダー神を描写している。帝王は王位の標章たるディアデム(リボンのついた環)を頭につけ、頭上には大きな球体(宇宙の象徴)を戴いている。神は城壁冠をかぶり、左手でバルソム(ゾロアスター教の聖枝)を持ち、右手には正当・正統な王位の標識たるディアデムを持ち、帝王に授けようとしている。帝王と神の服装はほぼ同一で、長袖の上着を着、眺めのパンタロンをはいている。その襞は自然らしさに欠け、装飾的である。帝王の背後には払子を持つ小姓が立っているという。
メソポタミアのものとの違いは、環(ディアデム)に長いリボンが付いたこと、杖は神が左手に持っていて、王に授けるのは環だけ。その後もサーサーン朝の王権神授図には、アフラマズダ神がリボンの付いたディアデムを王に授ける場面が表される。
とはいえ、サーサーン朝に先行するアケメネス朝やエラム時代の王権神授図は、文献でさえ見たことがない。浮彫などに表されてはいないが、儀式としては、王朝を超えて受け継がれてきたのだろうか。
同書は、前12世紀、エラム王たちの略奪した他のモニュメントとともに、クドゥルがいくつかスーサに運ばれたという。

ナジマルタシュのクドゥル カッシート王朝(バビロン第3王朝)1328-1298年頃 石灰岩 高36㎝ スーサ出土 ルーヴル美術館蔵
左の面に登場するのは、カウナケスを身に付け、玉座に坐る4段の角の冠を被る女神で、その上に太陽、三日月、星が大きく表されている。

王メリシバク2世の大クドゥル(部分) カッシート王朝、メリシバク2世期(在位前1185-71年) 黒い石灰石 全体高83幅42㎝ スーサ出土 ルーヴル美術館蔵
『メソポタミア文明展図録』は、カッシート人の導入したクドゥルは、王の土地贈与を証明するものであり、不規則な形の石、通常は光沢のある黒い石灰石をカットしたものに記載された。これらクドゥルは公文書であり、クドゥルによりカッシート王たちは近親者や宮廷高官に土地を授与し、彼らの歓心を買った。土地贈与を公認する神々は、大半はカッシート王朝の採用したメソポタミアの神々だが、たいてい各神の象徴が石の上に描かれた。クドゥルは、大部分神殿内部で発見された。おそらく王の定めた土地区画に沿って設置した境界石の複製であろう。それらはメソポタミア南部では前7世紀まで使用されたという。
同書は、刻まれた文書は、メリシバク2世の娘への土地贈与と用水路の修復を伝える。平面上では、1場面が低浮彫で描かれ、この不動産取引を認証する神を介在させる。口の前にかざした手で敬虔な祈りを表しながら、王は腕をとった自分の娘を、迎えの仕草をするナナらしい女神の傍に導く。星の三大神の象徴が場面の上方に張り出している。すなわちイシュタルの星、シンの三日月、シャムシュの日輪であるという。
太陽はシャムシュ、三日月はシン、星はイシュタルの神の象徴だった。
王は左手で娘の手を引いているので、右腕だけを折って、掌を立てている。
ナナ神と王の間に香炉が置かれている。
蛇足だが、ナナ女神の座る玉座の下の台は獣足になっている。

王メリシバク2世のクドゥル 前1185-71年頃 黒い石灰石 高65幅30㎝ スーサ、アクロポリス出土 ルーヴル美術館蔵
同展図録は、石の面の一つに刻まれたアッカド語の長い文書は、王メリシバク2世が息子たちに土地を譲渡したことに関する条文である。他の面には5段に、この行為の保証者である神々の象徴や属性が描かれている。
最上段には、メソポタミアの主要な神々が認められる。左から右に、まず神々の父で天の神アヌとその息子で「風の主」エンリルが、2人とも台の上の角付き冠で表され、次にもう1人の息子で知恵と深淵の神エアが、雄牛の頭部で表される。彼の脇にはおそらく「山の女王」母女神ニンフルサグがいる。頂部には星の三神の象徴が鎮座する。すなわち月神シンの三日月、愛と戦いの女神イシュタルの星、太陽神シャムシュの日輪である。
クドゥルの最下段には地下の冥府の神々に結びつく角のある蛇と蠍が描かれているという。
このクドゥルにも星の三神の象徴が表されている。

エラム人の王が略奪した石碑頂部 前12世紀 玄武岩 高64.5長さ41㎝ スーサ出土 ルーヴル美術館蔵
同展図録は、神による権力の印の委譲というこのテーマは、前3千年紀末以来メソポタミアではよく知られており、バビロニアのハンムラビ法典のものが殊に有名である。この石碑では、神の印である角付き冠を被った神が、手にもった権力の象徴である環と棒を手にし、王の即位を承認する行為としてこれを王に差し出す。日輪と三日月が場面の上部に張り出す。彫刻の全く宗教的な作風は前12世紀のカッシートのバビロニアでの制作を思わせる。
しかしエラム人の王たちは、メソポタミア史の証拠をスーサに集めるだけでは満足せず、自分たちのために利用しようとした。これによく似た作品(ルーヴル美術館蔵)では、神の前で祈るメソポタミアの王はエラムの王の姿に彫り直している。この石碑では置換作業は完了しておらず、まだ元のメソポタミア風の輪郭が、かろうじて素描された新たな輪郭の下に認められるという。
カッシートから様々なものを略奪してきたシュトルク・ナフンテ王、あるいはその後のエラム中王国時代の王は、境界石に表されたカッシートの王の姿を自分の姿に替えるということを行った。この時点で、エラムに王権神授図というものが成立したのだろう。
また、この図では、星の三神の象徴が一つずつ表されるのではなく、三日月の上に太陽がのり、太陽の中に星が表されている。

クセルクセス1世(前486-465年)の摩崖墓 ナクシェ・ロスタム
王権神授の場面右上に、うっすらと丸いものが浮彫されている。
厚い三日月の上に薄い満月が出ているようで、星の三神の象徴ではなくなっている。それは、アフラマズダ神が有翼日輪から姿を表しているからだろう。
そして、アフラマズダ神は左手に環を持つだけで、杖は持っていない。

アルタクセルクセス3世(在位前358-38年)の墓
『GUIDE』は、上翼に宗教的な場面が表される。「ペルシア風」服装の王は3段の台に立ち、やはり3段の台に置かれた高い祭壇の上で燃え盛る王家の火と向かい合う。各王は戴冠式で火を付けた。それは統治のシンボルで、王が亡くなった時にのみ消された。王は弓(イランの国家的な武器)を片手に持ち、讃美の所作でもう一方の手を開いて聖なる火に伸ばしている。
その上に王家の栄光(有翼の王の胸像)が浮かび、片手で輪(統治の象徴)を持ち、祝福のしるしでもう一方の手を開いて王に向けている。右上方に、新たに昇った月、分厚い三日月と薄い満月で表しているという。
やはり、アケメネス朝の摩崖王墓には、太陽はない。『GUIDE』は、王家の栄光(有翼の王の胸像)としているが、ゾロアスター教の最高神アフラマズダが、有翼日輪、つまり太陽から姿を現しているからだろう。
アフラマズダは環だけを持っているが、左で立つアケメネス朝の王は、左手で弓を杖代わりにし、右手は神を礼拝する仕草というよりも、環を受け取るために、アフラマズダの方に伸ばしている。
有翼日輪の起源についてはこちら
以前、アケメネス朝美術について、アケメネス朝の美術は古代西アジア美術の集大成という記事を作ったが、今回もまた王権神授図が西アジアに由来するものであることがわかった。
しかし、アケメネス朝の浮彫にはなかった杖が、サーサーン朝の初代の王アルダシール1世の王権神授図にのみ描かれているのは何故だろう。


     フーゼスタン州のパルティア美術

関連項目
スーサ3 博物館
スーサの出土品1 釘頭状壁面装飾はエラム
スーサ2 エラム時代の宮殿まで
サーサーン朝の王たちの浮彫
アケメネス朝の王墓
アケメネス朝の美術は古代西アジア美術の集大成

※参考文献
「世界四大文明展 メソポタミア文明展図録」 2000年 NHK
「世界美術大全集東洋編16 西アジア」 2000年 小学館