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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2018/05/04

俑を遡る1 従者編


大阪の東洋陶磁美術館の平常陳列の解説で俑は春秋戦国時代からあるということを知った。
『始皇帝と彩色兵馬俑展図録』は、俑とは、陶、木、石、金属などで作られた人形のことで、死後の世界で墓の主人に奉仕するために墓室の中または墓の周辺に埋納された。
皇帝や王侯の墳墓に陶製や木製の俑からなる軍団を副葬するという葬制は、秦始皇帝陵ではじまった。秦による全国統一以前にも東方の斉国や南方の楚国などでは王侯の墓に木製や陶製の俑が副葬されることが少なくなかったが、それらの俑は、侍臣や侍女、楽人など主人の身近で仕える役割のものが大部分という。
主人に仕える俑を春秋戦国時代まで遡ってみると、

舞踏俑 北斉(550-577年) 加彩陶 高28㎝ 河北省磁県湾漳墓出土 中国社会科学院考古研究所蔵
『中国★美の十字路展図録』は、一つの墓から多数の舞踏俑が出土する例はほとんど無いが、磁県湾漳墓からは16体もの舞踏俑が出土した。そのうち、8体は本例のように頭に籠冠をかぶり、残りの8体は頭に小冠(平巾幘)をかぶる。広口袖の褶を右合わせて着用し、足先まですっぽり隠れる長裙をはいている。
袖を前後にたなびかせるように舞う姿は北魏平城期の舞踏俑と共通するが、本例の柔らかくしならせた腕や、軽く曲げた左脚などを見ると、より細部に注意した造形であるといえようという。
長い袖の先を人体に着けてバランスさせている。 

侍従俑 南朝(420-589年)・6世紀 灰陶 高19㎝ 陝西省安康県出土 陝西歴史博物館蔵 
『中国★美の十字路展図録』は、頭には幅広縁で中央部が細長く延び、その先端部が折りたたまれている帽子を被っている。頭部と手を別々に作り、焼成後に組み合わされたのであろう。陝西省南部では、南朝墓の様式を持ちながら、動きの見られる俑が多数出土している。やや高い位置で帯を締める合わせ襟の上衣で、袖は広く広がっている。膝から下が締まっているズボンをはいている。台座はない。揚げられた左手には何か楽器か旗を持っていたのであろうか。傾けた首とやや開いた口の様子から、何か唱っているのかもしれないという。
安康県は長安と長江の中間に位置する。
手先は欠失しているが、左腕の仕草が気になる。そして首をかしげて遠くを見つめるような目も。綱で牽いて連れる牛の歩みが遅いので、立ち止まって牛の方を振り返っているようにも思える。

女子立俑 南朝(420-589年) 灰陶 高37.5㎝ 江蘇省南京市西善橋南朝墓出土 南京博物院蔵
『中国★美の十字路展図録』は、静かで柔和な顔つきをした侍女俑で、5-6世紀頃の南朝期の人物に特有の穏やかな表情をしている。南朝の俑は北朝での大量の俑に比べて、出土例は少ない。この俑は「竹林七賢、栄啓期図」の磚室で著名な墓室の正面に置かれていたもので、他に5体の俑が置かれていた。顔の部分と胴部は型で成形されている。ヘアスタイルは特に異彩を放っているという。
髪型も異様だが、首が長過ぎるように感じる。細身の女性だが、南朝の服装なのか、俑を安定させるためか、裾が広がっている。

武士俑 東晋時代(317-420年) 灰陶 高32㎝ 江蘇省南京市石門坎東晋墓出土 南京博物院蔵
『中国★美の十字路展図録』は、右手に小さな盾を持つ武士の俑である。左手には武器らしきものを持っていたようで、投げた直後なのであろう。頭はやや上を見上げ、相手を窺っている瞬間をとらえた造形で、写実的である。合わせ襟の丈の短い上衣をまとい。下半身は長い裙を付けている。大きな目と目立つ鼻は外国人であることを示す特徴であり、墓室内でのこのような造形の俑は、西晋が崩壊したあと、江南へ避難してきた東晋時代に独特のものであるという。
南朝の女子立俑と同じく、衣裳の裾を広げて安定を図っている。

深衣を着た俑 前漢時代 木製 高79㎝ 湖南省長沙馬王堆1号墓出土 湖南省博物館蔵
『図説中国文明史4』は、貴族の家中にあって比較的身分の高い家臣の姿。家臣は規範や儀礼を重んじる職業である。深衣を着ているが、曲裾はすでに簡略化されており、体に一周巻きつけただけであるという。
木製の俑に布帛の衣裳を着せている。

踊る女性の俑 前漢時代 陶製 高53㎝ 長安城宮殿遺跡出土 陝西歴史博物館蔵
『図説中国文明史4』は、秦が天下を統一する戦争の過程で、始皇帝は数万人もの各国の後宮の美女や、音楽と舞踏を演じる妓女を首都・咸陽に連れて来た。その結果、全国各地の歌舞のエキスパートが首都に集まり、漢の宮廷のために優秀な人材をたくわえるひとになった。この舞俑は陝西省西安市の漢の長安城宮殿遺跡から出土したもので、前漢の宮廷の雅楽舞踏をあらわしているという。
細長い袖を翻しながら踊る。動きのある上半身に比べて、下半身はやや膝を曲げてバランスを取っているだけで、舞い自体は静かなものだったことを思わせる。

塑衣式女立俑 前漢時代(前2世紀) 加彩灰陶 高58幅24㎝ 咸陽市陽陵陪葬墓M130号墓出土 咸陽考古陳列館蔵
『始皇帝と彩色兵馬俑展図録』は、頭髪は漢代に流行した堕馬髺と呼ばれる髪型で、長い髪を肩の後ろで束ねて折り返し、一部をさらにそこから下に垂らしている。衣服は深衣と呼ばれる長衣。本品が出土した陪葬墓からは「周応」という人名が刻された印が見つかっており、景帝の時代に鄲侯と繩侯に封じられたふたりの周応のどちらかの墓と考えられるという。
陽陵は第6代景帝(在位前157-141年)の墓廟。
上の踊る女性の俑の長い袖を手首にまとめるとこんな風になるのだろうか。
顔は丸みを帯びるが、非常に細身の俑である。

侍女俑 前漢時代 陶俑 高41㎝ 陝西漢高祖長陵出土 陝西歴史博物館蔵
高祖は漢の建国者劉邦。その孫で第6代景帝の墓廟の陪葬墓から出土した侍女俑よりもずんぐりしている。膝を軽く曲げているせいかも知れない。 

侍女俑 秦帝国末期(前2世紀末) 陝西省西安南郊、茅坡郵電学院秦墓出土
『始皇帝と彩色兵馬俑展図録』は、戦国時代の秦国では俑を副葬する習慣はあまり見られず、咸陽北郊出土の騎兵俑のほかに数例が知られているだけであるが、最近、戦国・秦から秦帝国にかけて小形の俑の副葬が細々とではあるが、おこなわれていたことがわかってきた。始皇帝陵兵馬俑が生み出された背景には、このような小形俑副葬の習慣があったと思われるという。
大きさは明記されていないが、非常に小さな俑のよう。それでも頭髪、目鼻、衣裳の襟の盛り上がり、長い裾から沓の先だけが見える様子が浮彫で表されている。唇や襟、袖に赤い彩色が残っている。

『図説中国文明史3』は、春秋戦国時代、殉葬という習俗はだんだんと廃止され、俑を副葬するように改められました。これは人物彫塑作品の発展を促しました。副葬された俑は、主に生前の身分の高かった墓主に仕えるためのものでした。このため、ほとんどが召し使い・料理人・踊り子などとしてつくられていますという。

彩色の玉を佩びた木俑 戦国時代中期 木製 高66.7㎝ 江陵紀城楚墓出土 湖北省博物館蔵
『図説中国文明史3春秋戦国』は、木俑は白と黒を交えた方裙(裾が足首の上で止まったもの)を着て、彩色の玉璧と玉璜をつないだ組飾りを2本身につけているという。
玉の組飾りを着けることができるのは、よほど身分の高い人物だったことをうかがわせる。前漢時代の俑よりも高い、胸元の位置で帯で着衣を締め、身にびったりとそう狭い袖口から出た手は、やはり拱手している。
それにしても他の俑とは全く異なる、独特の人物表現である。

鋳型 戦国時代 陶製 山西省侯馬市出土 中国国家博物館蔵
『図説中国文明史3』は、直立した人をつくる陶製の鋳型という。
金属の俑の鋳型。
両手の先には爪が表され、手の甲が見えるように挙げているのはどんな意味があるのだろう。何かを担いでいたのだろうか。
胴部で紐で締めた短い上衣には文様がある。しかも、戦国時代の銅鏡の文様に似ている。
『中国の古鏡展図録』は、山字文鏡は前3世紀を中心に大量に製作され、中国の広い範囲で用いられた。幅広の凹面帯であらわされた山字形文は単なる漢字を表したものではなく、鉤連雷文など青銅祭器の文様モチーフの一部を転用したものであろうという。
それは当時の従者の衣裳の文様を再現したのではなく、青銅器の文様だったようだ。

侍従俑 戦国時代 陶製
『図説中国文明史3』は、斉魯地方の貴族墓に副葬されていた陶製の人形で、侍従の姿をしている。儒家の発祥の地であった斉魯地域では、儒家が殷・周以来行われていた残虐な殉葬制度の廃止を主張していた。このため、この地域では人の代わりとなる陶製の人形が最初に登場し、急速に伝播していった。漢朝になると、皇帝や貴族の副葬品の主要なものとなった。殉葬制度は戦国時代にはすでにほとんど見られなくなったという。
左の俑は女性で、長い袖で手先を隠し拱手している。とすると、半袖の服を着た右の俑は男性だろうか。共に鼻だけが表された顔と、片方に結った髷で、男女差はなさそう。

春秋時代の俑は見つけられなかった。

 東洋陶磁美術館 館蔵品で見る俑の歴史←   →俑を遡る2 群像編

関連項目
東洋陶磁美術館 唐代胡人俑展
中国の古鏡展2 「山」の字形

参考文献
「中国★美の十字路展図録」 監修曽布川寛・出川哲朗 2005年 大広
「陶器が語る来世の理想郷 中国古代の暮らしと夢-建築・人・動物展図録」 編集愛知県陶磁資料館・町田市立博物館 2005年 愛知県陶磁資料館・町田市立博物館・岡山市立オリエント美術館他
「図説中国文明史3 春秋戦国 争覇する文明」 監修稲畑耕一郎 2007年 創元社 
「図説中国文明史4 秦漢 雄偉なる文明」 監修稲畑耕一郎 2005年
「始皇帝と彩色兵馬俑展図録」 監修稲畑耕一郎・鶴間和幸 2006年 TBSテレビ・博報堂