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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2013/03/15

東寺旧蔵十二天図2 截金1七宝繋文



七宝繋文とは、円を上下左右のものと少しずつ重ねながら並べていった文様をいう。
東寺旧蔵の十二天図で多いのは、変わり七宝繋文だが、いわゆる七宝繋文も見受けられる。


3 風天 鎧腹部
鎧の小札部分は金泥で描かれている。七宝繋文の方が輝きがあるので、金箔だと判断できる。
完全な円を七宝に繋いだ文様というよりは、木の葉状の切り箔をX状に配置した文様、あるいは格子文と見えなくもない。それは金箔を弧に切ることが難しかったからだろう。
拡大すると、円弧にしようと努力したような箇所もあるので、七宝繋文でよいだろう。
ただ、気になるのは中央に文様がないことだ。七宝繋文は大抵中央に文様が置かれていたように思う。
6 閻魔天 毛氈座の一番内側
裳は変わり(三重)七宝繋文で次回に。
裾と毛氈座の境あたりに、切り箔の七宝繋文が幽かに見えている。
截金の描く弧が交差した七宝繋文もある。

5 羅刹天 右足裳裾
中央に文様がない。そして円というよりも、限りなく四角に近い。それでも、なんという文様かと言われれば、七宝繋文と答えるしかない、そんな文様だ。
截金の弧が交差した七宝繋文の中に、文様が置かれているものもあった。

7 火天右脇侍 裳 
十字(四ツ目菱)入り七宝繋文。
これも四角に近いかな。
8 帝釈天 着衣
中央の文様は四ツ目菱入り七宝繋文。
それ以外に赤い3弁の花が散らされ、肩のあたりには菊花文もある。
七宝繋文は古くからある文様だ。以前の記事から少しずつ取り出してみると、

前7-6世紀 アッシリア
連続4射星形文鉢 赤(緑色に風化)と白色ガラス 北イラク、アッシュール311号墓出土 ベルリン国立博物館蔵
白い部分を主文とすると4点星だが、赤い部分を主文と見ると七宝繋文になる。
このような文様は、制作方法が解明されていないらしいが、熔け具合から、赤い菱形のガラス片(あるいはペースト)と白いガラスそして目玉文との組み合わせで作られている。截金の形とよく似ている。
中央に目玉のような円文がある。円文入り七宝繋文かな。
イスタンブール考古学博物館にも同じ文様のモザイクガラス碗があったが、出土地も時代も明記されていなかった。
こちらも目玉のような円文があるので、上の器と同じ時代に作られたものだろう。
前645-640年頃 アッシリア
石の絨毯 クユンジク、北西宮殿I室b出入口ないしはd出入口 縦127.0横124.0厚7.5 大英博蔵  
『アッシリア大文明展図録』 は、これはアッシュールバニパル(前668-631年頃)の玉座の間から出土した敷居の一部分である。アッシリアの王宮の床には、鮮やかな色彩の織物が敷かれていた。一方、出入口付近には、このように敷物に似せて作った丈夫な「絨毯」が置かれた。矩形の内側には、コンパスを使って描かれた多数の円文が組み合わされ、あたかも六弁開花文が描かれているかのような効果を発揮している。その周囲をロゼット文が取り巻き、最も外側の部分には、ロータス(蓮)の花と蕾が連なって縁飾りを形成している。このロータスのモチーフはエジプトから、フェニキアを経由してアッシリアにもたらされた。そして紀元前8世紀末頃までには、アッシリアにおいても、一般に普及した。フェニキアの織物はアッシリアに輸入されていたので、この石製絨毯のデザインも、そのような織物に由来すると考えられるという。
クユンジクはニネヴェの現代名である。
六弁花文とも見えるが、もっと小さく、縦に花弁状の文様のある七宝繋文にも見える。それはエジプト第21王朝(前1086-935年頃)の木棺内側に描かれた女神の衣服にも似ている。こちらは色の異なる八弁花文、あるいは七宝繋文となっている。

七宝繋文と見るには、中央の縦の部品が邪魔。
前1086-935年頃 エジプト第3中間期第21王朝
七宝繋文 アンクエスエンムートの木棺内側に西方の女神ヌゥトの絵 テーベ、デル・エル・バハリ出土
女神の衣装の文様となっている。

文様は縦横の線で区切られている上に、交差する箇所に赤い小丸があるなど、正確には七宝繋文といえないかも知れない。それに中央に文様がない。
前1550-1295年 エジプト新王国時代第18王朝
七宝繋文 青色彩文土器の文様帯 アブ・シール南丘陵出土
『吉村作治の早大エジプト発掘40年展図録』によると、青色の顔料を使用した彩文土器は、アメンヘテプⅢ世やアクエンアテン王の時代に盛んに使用された。アブ・シール南丘陵出土のものは、その先駆となるものということで、アマルナ時代以前、第18王朝前半のものだと思われる。

中央なは四角い文様がある。四角入り七宝繋文か。 
前2600-1800年頃 インダス文明期
タイル モヘンジョダロ出土 テラコッタ 17.0X-X2.0 カラチ国立博物館蔵
これが今まで見付けた七宝繋文で最古のもの。
『インダス文明展図録』は、家屋の部屋の多くは土間であったが、一部には十字文や交差円文を施したタイルが敷きつめられ、生活に彩りを添えていた。あらかじめ円形に固定した縄を繰り返し押しつけるという、手の込んだ手法で作られているという。
上下左右の円と1/4ずつ重なっている上に、中央に四ツ目文もあり、日本で七宝繋文と呼ばれる文様の典型のような文様が、こんなに古い時代に、完成された形であったとは。

四ツ目菱入り七宝繋文。
2世紀後半 パルミラ王国時代
シリア、パルミラ3兄弟の墓内部壁画 パルミラ 3兄弟の墓壁画
同書は、壁面には漆喰を塗り、その上にさまざまな図柄を描いている。天井部分はわが国の美術にも見られる亀甲繋文と七宝繋文で充填したという。

ずっと時代が下がって、中央に文様のない七宝繋文も現れた。

つづく

関連項目
東寺旧蔵十二天図10 截金9円文
東寺旧蔵十二天図9 截金8石畳文
東寺旧蔵十二天図8 截金7菱繋文または斜格子文
東寺旧蔵十二天図7 截金6網文
東寺旧蔵十二天図6 截金5立涌文
東寺旧蔵十二天図5 截金4卍繋文
東寺旧蔵十二天図4 截金3亀甲繋文
東寺旧蔵十二天図3 截金2変わり七宝繋文
東寺旧蔵十二天図1 截金と暈繝
亀甲繋文と七宝繋文の最古はインダス文明?
エジプトに螺旋状髪飾りを探したら亀甲繋文や七宝繋文が
中国・山東省の仏像展で新発見の截金は

※参考文献
「王朝の仏画と儀礼 善をつくし 美をつくす 展図録」 1998年 京都国立博物館
「ペルシャ文明展 煌めく7000年の至宝展図録」 2006年 朝日新聞社
「アッシリア大文明展図録」 1996年 朝日新聞社 
  
「吉村作治の早大エジプト発掘40年展図録」 2006年 RKB毎日放送株式会社
「黄金のエジプト王朝展図録」 1990年 ファラオ・コミッティ

「世界美術大全集東洋編16 西アジア」 2000年 小学館